朝ドラ「花子とアン」から考えるおばあちゃんの名前の話
うちのおばあちゃんは父方も母方も田舎の農家の生まれで
ひらがな2文字の名前です。
本名を晒すのには抵抗があるので仮名で考えてみます。
「ちよ」とか、「さよ」とか、そういう感じです。
朝ドラ「花子とアン」の中で、
吉高由里子扮する田舎の農家の娘「はな」は周りに
「私のことは花子と呼んでくれ!」
(実際にはもっと方言でした。)
と言っていました。
私は一緒に住んでいた祖母のことを思い出していました。
祖母は多分「◯◯子」という「子」のつく名前に憧れがあって、
自分の名前に「子」を付け、
さらにひらがなの自分の名前に漢字を当てはめて
毎日つけていた日記帳の表紙に
自分の理想の名前を書いていました。
先ほどの仮名で考えてみれば
「千代子」とか「小夜子」とか
そういう風な感じです。
だから、仕事で祖母と同じ年代の女性に出会い、
その方が◯◯子という名前だと、
「この人は農家ではない家業の家の娘さんだったのかなぁ」
「この人は田舎の生まれではないのだろうなぁ」
などと考えてしまうのです。
別に田舎の農家に生まれた祖母を不憫に思っているとかそういうわけではなく、
自分の名前を理想の名前に近付けようとしていた祖母を
私は単純にすごいなぁと感心していたというか、
向上心のようなものを感じていたというか、
今でもその気持ちを思い出せます。
そういう思い出もあり、
大人になってから見た朝ドラ
「花子とアン」で
主人公も同じようなとを考えていたので
祖母を思い出したのです。
子供の名前って、その時代の流行とかに左右されてしまうこともありますよね。
キラキラネームとかも一時期話題になっていましたね。
子供のためを思って親か親以外の誰かがつけたその子だけの名前。
名前ってとても大事なものだなぁと思うのです。
名前にこだわった祖母や朝ドラ主人公のような女性は、
今の自分を変えたいと言う気持ちがあったのかも知れないなぁと思うのです。
「貧しい田舎の農家に生まれた私」から、
「もう少し都会的な(もしくは裕福な)ところに暮らしている女性」。
それが発展して
「自立している女性」
に憧れる気持ち。
想像ですけどね。
きっとその後の時代では、
女の子の名前の流行は変わっていますし。
祖母の考えが、
全ての農家に生まれた女の子の考え方であるとは考えていません。
でも、私はやっぱり、
祖母と同じ年代の女性の名前が
「◯◯子さん」だった時、
祖母が理想の名前を
自分の日記帳に書いていたことを思い出すのです。
名前って自己暗示みたいな部分もあるなぁと思います。
私は結婚して姓が変わった時、
今までの自分をリセットして、
新しい人生が始まる!
とワクワクしました。
今の時代は、名前を見てその子供の家がどんな家かなんて想像もできないと思うのですが、
祖母は、明らかに農家の娘とわかる名前が気になっていたんだろうなぁ。
それを孫が生まれるような年齢になっても考えていたのかなぁと思うのです。